2012年11月6日火曜日

私が感じた”秋”の風景写真!

11月の声を聞くと周囲の時の過ぎゆく早さも増したように感じる。

もちろん、実際には”時の速さ”に変わりはないのだが・・・。


窓の外に植えていた、陽除けの朝顔・夕顔の枯れ方・・・。


九州の低地にはまだ早い”紅葉”も、あちこちで確実に染まってきている。



ゆっくりと目覚めたある朝、開けようとした窓のすりガラスに写っていた夏の間陽除けとなってくれた
”朝顔”と”夕顔”の枯れかけた姿が写っていて、「ああ、秋なんだなあ」と感じた。


夏の間は、落ちつくすまで”ギラギラ”と輝いていた太陽も、
山に消える時間も早まり、その輝きも勢いをなくしていた。


家庭の庭先にも、”秋の寸景”は出来ていた。
黄色い”つわ”の花と色付いている気が原色の対比を表わしていた。


「九州国立博物館」の庭では、まだ開こうとしている”睡蓮”と、
その遅さを見せつけるように”紅葉”した木が立っていた。


野では、”大豊作”と見え鈴生りの柿の木と、
刈り取られた”赤米”が干され、”秋らしい”風景を作っていた。


「太宰府天満宮」傍にある「光明禅寺」のこうようはまだほとんどなかったが、
”鐘楼”から見た柿の木には、もう1個しか残されていず、寂しく陽を浴びていた。


この季節には関係ない「孟宗竹」にも、横にも高さにも伸びきった先の空に”深まりゆく秋”を感じた。
こうして、日ごろ歩き、見ている周囲の景色の中のあちこちにも、
秋の深まりは確実に忍び寄っている。
3日も同じ場所を訪れないと、もう以前の景色はなく、
以前より”仄暗く”、または”紅さ”の混じった風景になっている今日この頃である。

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